コブシのブログ

つれづれ駄文

私をたどる物語 <完>

お互い手を出し合ったままゴング。


それぞれ、自分のコーナーに戻った。


 緊張の糸が切れたからか、私はコーナー近くで、くずれるように倒れそうになった。


 会長に支えられて、なんとかコーナーポストの椅子に座った。


こんなに限界まで、出し尽くしたのは初めてだった。


 「ありがとうございました!」


 Y選手が、私の側まで来て言った。


 普通、判定を聞くまでは、自分のコーナーにいて、判定が出てから、相手に挨拶に行く。


しかしY選手は、コーナーに戻らず、すぐ私の側まで来た。


 Y選手も、ギリギリのプレッシャーの中で闘っていたのだろう。


 「こっちこそ、ありがとう!」


 判定を待つまでもなく、負けているのは分かっていた。


 「勝者青コーナーYっ!」


 Y選手がレフリーに手を上げられる。


 私は現役時代、今まで3回負けている。


 全て判定負けだったので、負ける瞬間はいつも、コーナーポストの椅子に座った状態で、この光景を見ていた。


 対戦相手が、レフリーに手を上げられる光景を、泣きそうになるくらいの悔しさでいつも見ていた。


それが、今は不思議と悔しさがなかった。


 中身が入った容器を逆さにして、最後の最後まで出し尽くして、一滴も残ってない。


そんな感覚まで、出し尽くしたからだろう。


 「会長、スミマセン・・・。」


 T君の追悼に、勝利を捧げられなかった事を会長に詫びた。


 「何を言ってんや!お前の魂込めたエエ試合やった。Tも喜んでるわ。ありがとう!」


 最後、リング上で四方に挨拶した時。


 会場のお客さんが、勝ったY選手よりも、一際大きな拍手をしてくれた。


そんな事も嬉しかった。


 控え室に戻った私の元に、様々な人達が来てくれた。


ジムの後援会の会長、T君のファンだった方達など・・・。


 「コブシ君!エエ試合やった!試合には負けたけど、勝負には勝ってたよ!」


 皆さん、そう言ってくれた。


あーだから悔しくないのかな?と、私自身も思っていた。


 「おーコブシ!死なんかったなー!」


 私の親友達。


 学生の頃はいつも、こんな面倒くさい性格の私の側にいてくれた。


 「おー、でも見てくれ、この顔!」


 笑い合う私達。


 負けて笑ってるのは、初めてだった。


そんな自分が、滑稽に思えた。


これが、私のプロボクサーとしての最後のリングとなった。


 私は、1試合1試合の瞬間を、昨日の事のように鮮明に覚えている。


 現役時代の私は、常に「死」を意識していたからだと思う。


たかが、ボクシングの試合じゃないかと思うかもしれないけど、それくらい毎試合死んでもいい覚悟で、リングに上がっていた。


だからこそ、プロボクサー時代の私は、強烈に「生」を感じ、その一瞬一瞬を鮮明に記憶しているのだと思う。


 「死」を意識して生きる。


 平和な世の中で、「死」は遠い存在のように思ってしまう。


しかし、どんな人間もいつか必ず死ぬ。


 私は、戒めのように、自分の試合の映像を見て、あの頃を思い出すようにしている。


そうやって、「生」を噛み締めながら生きています。


 今まで、私のダラダラと書き連ねてきた文章を読んで頂いた方達、本当にありがとうございました!  


<完>

私をたどる物語 <19>

そして、迎えた試合当日。


 実践の勘、スタミナなど、リングに上がるにあたっての総合的な材料を整える事が出来た。


いや~3ヶ月しか調整期間がなかったから・・・と、言い訳できないくらい仕上がった。


 自画自賛するわけではないけれど、あ~やっぱり俺はプロだったんだなぁ~と思えた。


 会場には、T君のファンなどで満員だった。


 控え室には、T君のガウンと日本刀が置いてあった。


どうやら私が、そのガウンを着て、入場するみたいだった。


 私自身、初のメインイベントでの試合。


 私が現役の頃は、セミファイナルでの試合までしかした事がなかった。


プロになる前は、世界チャンピオン。


しかし、プロになって、現実の厳しさを知るにつれ、日本チャンピオン、日本ランカー、A級ボクサーと、夢が小さくなっていった現実。


 結局、私はA級ボクサーまでしか達成できなかった・・・。


メインイベントを務める。


これが、A級ボクサーの次の目標だった。


くしくも、こんな形で、私の小さな夢が叶うなんて思いもしなかった。


 控え室で精神統一。


おそらく・・・いや、間違いなく、私の最後のリングになるであろう。


 刻々と近付いてくる時間。


 「会長、何があっても絶対にタオルは投げないで下さい!」


 私は会長を真っ直ぐ見つめ言った。


こんな事言ったら嫁に怒られるかもしれないけれど、死んでもいいと思ってた。


 私がリングに上がる時はいつもそうだったから。


 「わかった!」


 会長も真っ直ぐ私を見ていた。


 照明が落とされ、T君のリングテーマだった、「必殺仕事人」の曲が流れる。


 「いくぞーーっ!」


 会長の気合い十分の掛け声とともに,T君の魂の残っているガウンを身にまとい入場。


いよいよ、決戦のリングへ。


 「俺の死に様、見届けてくれ!」


めったにない私からの誘い。


 私の数少ない親友たちも、遠く離れた関西、地元の他県からも応援に来てくれた。


 悲壮な覚悟でリングイン。


 相手は、5勝(3KO)1敗。


まだ1度しか負けた事のない22歳。


 対する私は、8勝(3KO)3敗の30歳。


くしくも、私が絶好調で、さぁこれからという時、怪我で引退したのも22歳。


あれから8年。


 医者からは無理だと言われたリングに、また、立っている。


 相手は、ギラついた倒す気マンマンの目で、こちらを見てきていた。


きっと、私の情報も伝わっている事だろう。


 昨年、7年振りにカムバックして1勝して、今回の試合は1年振り。


もしかしたら、練習期間も3ヶ月しかしていない事を知っているかもしれない。


 同じファイタータイプ。


 我慢比べの消耗戦になるだろう。


 「Tのぶんまで頼んだゾーーっ!」


おそらく、T君のファンであろう誰かが叫んだ。


ゴングが鳴る。


 相手のYは、送られたビデオと同じように、距離を詰めてパンチを振るってきた。


 私も負けじと応戦した。


やはり、思った通りの展開。


 二人とも、1Rは様子を見るなんて、これっぽっちも思っていない。


 2R


 顔の辺りがヌルヌルしていた。


 1Rの激闘のせいで、早くも鼻血と眉尻が切れていた。


 1Rと変わらぬ激しい打ち合い。


しかし、とうとうもらってしまった。


 試合展開は、1Rと変わらなかった。


 私の鬼気迫る迫力に押されてか、私が前に出て、Y選手は下がりながらの応戦。


ファイタータイプにとって、ストレートとフック系のパンチは、苦にならない。


 体を左右に揺すりながら、距離を詰めるから、パンチを避けながら前に出られる。


ファイタータイプにとって、最も嫌なパンチ。


それは、下からのアッパーだ。


 下からの攻撃されると、距離を詰めにくくなる。


そして、私がパンチを振るいながら前に突っ込んで、距離を詰めた瞬間。


 下がりながらの、大振りのアッパーを顎に食らった。


 顎が真上に跳ね上がるくらいに、ドンピシャのタイミングだった。


 後で、ビデオを見たけれど、本当にダウンしてもおかしくないくらいのパンチだった。


 私は、崩れながらも、前のめりに距離を詰めていく。


 白地のトランクスは、血に染まり、私の顔も真っ赤になっていた。


それはまるで、不動明王の後ろで燃えている迦楼羅炎のようだった。


リングで繰り広げられる、不思議な光景。


 Y選手のパンチは的確に、私に入っている。


 普通ならば、当たっているY選手が前に出て、打たれている私が下がるはず。


なのに、今、リング上ではその逆。


 私が前に出て、Y選手は下がっている。


きっと、Y選手は思っている事だろう。


 「なんで効かないんだろう?」


 私は現役時代、確かに、1度も倒された事がないくらいタフだった。


しかし、この時は、何かが憑依していたと思う。


それが、T君かどうかはわからない。


 後でビデオを見ても、ありえないくらいのタフさだった。


そんな展開が続き、いよいよラストラウンド。


 私はこの試合が決まった時、絶対に下がらないと決めていた。


 倒された事がなかったけれど、この試合は倒されるかもしれないと覚悟していた。


ただ、倒されるにしても、ボディーでは倒されたくなかった。


ボクサーにとって、ボディーで倒される事は恥だった。


それは何故か?


 私はダウンした事のある同僚、先輩、後輩に、よく聞いていた。


 「ダウンした時って、どんな感覚なんですか?」


 「気が付いたら、目の前がキャンバスだった。」


 「ダウンする前の記憶が、スッポリ抜けて、思い出せない。」


そう、頭部のダメージによるダウンは、意識がなく、気が付いたら倒れている。


だけど、ボディーのダウンは意識がある。


 自分の意志で立たない、つまり、心が折れて立たない。


だから、ボディーでのダウンは恥だとされていたんだと思う。


だから私は、ボディーでは絶対に倒れないと決意していた。


 頭部のダメージで、倒されたとしても、前のめりでと決めていた。


 「ラストラウンド!」


リングアナのコールと共に、二人グローブを合わせた。


 私は、1Rからの流血と腫れで、鼓膜も破れ、顔面がリアルアンパンマンのようになっていた。


 当然、視界も通常の半分くらいになり、その視界も血で赤く染まっていた。


その半分になった視界に、赤いY選手を捉え、前に出る。


 私も最後のラウンドだったので、自分のスタミナを一滴残らず使いきるつもりだった。


 Y選手も、下がらず前に出てきた。


 足を止めてのどつきあい。


 会場も、ほぼフルラウンドのどつきあいに盛り上がっていた。

私をたどる物語 <18>

私は、この試合が決まってやらなければいけないと思っていた。


 T君が自殺した現場に手を合わせに行く事。


 自殺する事はよくない。


 自分だけ死んで、楽になるかもしれない。


 残された人たちの悲しみ、無念さ。


そういう事を考えれば、自殺は卑怯だとも思う。


しかし、人間というのは弱い生き物。


こうやって生きているのも、弱っている時に助けてくれる人たちがいてくれたからこそだと思う。


 私だって、死のうと思った事が1、2度ある。


こうして生きているのも、たまたまなんだと思う。


 後になってみれば笑って話せる事でも、その時は人生に絶望するほど重大に思ってしまう。


でも、生きてさえすれば、何度でもやり直せる。


だから、T君にも生きて欲しかった・・・。


 妻と二人で現場に行った。


 線香を供え、手を合わせた。


しばらく目を閉じ、T君の安らかなる冥福を祈った。


すると、何か感じた。


 別に、霊感なんてないけど、確かに何か感じた。


 目を開けて妻を見た。


 妻も、私と同じような顔をして、こちらを見ていた。


 「T君、おるな・・・。」


 T君の存在を感じた。


 不思議と怖さは感じなかった。


(T君、俺、やるからな。見といてくれよ。)


私は、目を閉じ手を合わせた・・・。


 最初は、T君の追悼の為と思い練習していた。


しかし、誰かの為に・・・なんて、所詮、綺麗事。


そんな余裕なんてなかった。


 飛び入りで、何かのお遊びの大会に出るのとは訳が違う。


モノホンのプロのリング。


 下手したら死ぬかもしれない。


 自分の為、生き残る為に必死だった。


 「コブシ、トランクス出来たから、ジムによってくれるか?」


 会長は、この試合が決まった時、私にトランクスをプレゼントしてくれると言ってくれた。


 「お前の好きなデザインを言ってくれ。」


 私は、不動明王がすごく好きだった。


 堅気だけれど、彫り物を入れるんだったら、不動明王を入れていただろう。


ジムは他県にあったので、後日、近くを寄った時に、トランクスを見に行った。


 「どうや、順調にいってるか?」


 会長は、私の筋肉を触りながら言った。


 「大丈夫です。」


 自分でも自画自賛してしまうくらい、順調に仕上がっていた。


 「おぅ、そうだ!エエのんできたで~!」


 会長は、そう言いながら、奥からビニール袋に入ったトランクスを持ってきた。


 白いスパンコール生地に不動明王が描かれていた。


 「どや?エエやろ!」


 私は、手渡されたトランクスを広げた。


 真ん中に、立派な不動明王が描かれていた。


 「な、エエやろ!こっちが前や!」


(あ、こっちじゃないんや。)


こ、股間?ふ、普通、後ろに・・・。


 「な、エエやろ!」


 「は、はい。ありがとうございます!」


 股間にチン座・・・いや、いや、鎮座している立派な不動明王。


 「え~こっちが前~?」


 当然の事ながら、妻の激しいツッコミ。


ますます、試合に暗雲が漂う・・・。