私をたどる物語 <14>
KさんとはSジムで、階級も同じ、デビュー戦も同じ時期、ファイトスタイルも同じファイタータイプ。
新人王戦も違うブロックで、同階級にエントリーしていた。
そのせいか、よく火のでるような打ち合いをして、スパーしていた。
私が憧れていた、カリスマボクサーだったIさん。
私は、そのIさんが所属しているSジムに入った。
そのIさんが、数十年たった頃、話す機会があった。
「コブシとKのスパーを見て、皆・・・・」
あの憧れのIさんが・・・・褒めて頂けるのかと思いきや・・・。
「ガードの大切さを教えてもらったよ。」
ズッコケた記憶がある。
まぁ、それくらいKさんとはバッチバチのスパーをやった拳友だった。
その後、Kさんは仕事の都合で関西に引っ越していった。
私はと言えば、デビュー戦を1RKOし、4連勝、順風満帆かと思いきや、3連敗。
そして、負のトンネルをやっと抜け出し3連勝。
次戦で日本ランキングを賭けてのトーナメントにエントリーしていたけれど、試合直前に長年の腰痛から、腰椎が疲労骨折し、家業の関係もあり、そのまま引退してしまった。
私は、これからという時にヤメてしまった自分に納得していなかった。
今になって思うと、自分の小ささに恥ずかしくなってしまうんだけど、仲間たちの活躍が羨ましくて、ボクシング関係の情報を一切遮断した。
数年後、家業の下積みも一段落し、何気に見たボクシング雑誌にKさんの名前があった。
日本バンタム級1位になっていた。
Kさんは元世界チャンピオンにも勝ち、関西圏では、攻撃の凄まじさから「~の虎」と、対戦相手から恐れられていた。
私はKさんの活躍に触発されて、もう一度リングに上がろうと決意した。
実に7年振りのリングだった。
そして、試合が決まり、1年後に、リングに上がるという時、昔のトレーナーにKさんの携帯番号を教えてもらった。
私は久しぶりだし、積もる話もあるだろうし、何かアドバイスなんかもらえたらなという気持ちで電話してみた。
しかし、その一方で、かたや日本ランキング1位の一流ボクサー、かたやA級ボクサーとはいえ、ランキングにも入れなかった無名のボクサー。
劣等感が少なからずあった。
そのせいか、「で、今さら何が聞きたいの?」と言ってはないんだけれど、そんなニュアンスのそっけない態度にとれてしまった。
私は電話を切った後に、Kさんの番号が書かれた紙をくしゃくしゃに丸めて捨てた。
もう今後、話す事も、会う事もないだろうと思った。
そして数年経ったある日、以前付き人をしていたK社長から封書を頂いた。
「こんなボクサーがおるみたいやで。」
封書の中を見ると、新聞の切り抜き記事が入っていた。
Kさんだった。
Sジムの頃と同じ、看護士として頑張っていた。
日々、認知症の老人たちの心を癒すべく、一緒に歌を歌ったり、踊ったりと現役の頃の激しいファイトとはうってかわって、穏やかな仕事をしていた。
私は「わだかまり」もあって、そのKさんの新聞記事をくしゃくしゃに丸めて捨て・・・そんな事はできなかった。
いくら「わだかまり」があろうが、仲間が頑張っている事まで、くしゃくしゃにして、捨てる事はできなかった。
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