私をたどる物語 <16>
そして、最初で最後のつもりで上がった7年振りのカムバック。
それで、私のボクサー人生は終わり・・・のはずだった。
T君の死・・・。
最後の試合から一年間、結婚や自分の治療院を開院するため、体をまったく動かしてなかった。
3ヶ月という短い期間で、再びリングに上がらなければならない。
間に合うのか・・・。
不安ばかりが頭をよぎる。
私もプロの端くれ。
決まった以上はやらなければならない。
その為には、1秒でも早く、実践の勘を戻したい。
今、自分が住んでいた県に、ボクシングジムがあるのかどうかすら知らなかった。
会長から、練習するジムの段取りをするからと言われていた。
それまで、ここで練習しといてくれと、ある場所を紹介された。
その場所とは、ボーリング場だった。
その施設の2階に、ボクシングを練習する場所があるという事だった。
早速、練習する身支度をして行ってみた。
その施設は、1階がボーリング場。
そして2階に上がると、広い室内に卓球台がたくさんあり、遊びではなく、ユニフォームを着た人々が練習していた。
その奥の方に、サンドバッグが4つ置かれたスペースがあった。
(変わった組み合わせだな・・・。)
早速近付いてみる。
受付らしき場所があり、練習費の500円を払い、更衣室があると教えられた。
練習着に着替え、サンドバッグが置かれたスペースに行く。
そこには5、6人の男たちがいた。
上半身裸で、入れ墨をいれている奴も何人かいた。
どうやら、キックボクシングの集まりらしかった。
近くの喫煙スペースで、タバコを吸って談笑している奴も何人かいた。
(俺は、お前らみたいに遊びでやってんじゃねーんだよ!)
私は、入れ墨を見せつけられるのが好きではない。
それに、タバコを吸いながらっていうのもあり、その集まりに対して反感の感情を抱いた。
私は、いつもジムでしていたように、練習場の入口で、ひときわ大きな声を発した。
「お願いしまーーーすっ!」
談笑していた男たちが一斉に私の方を見た。
22歳という早すぎる引退。
この時に、私はボクサーとして一旦死んだ・・・というか、仮死状態だった。
引退してからは、仲間たちの活躍を見たくなくて、あんなに好きだったボクシングの情報を一切遮断した。
親との約束通り、家業の下積みに精を出した。
引退してから5年。
金融屋グループのボスとの闘い。
同期のKさんの活躍。
それらに触発され、再びリングに上がろうと決意。
私は意に介せず、淡々と自分の仕事に取りかかった。
入念に柔軟体操をし、大きな鏡の前でシャドウボクシングをした。
鏡越しに、男たちがチラチラこちらを見ているのがわかった。
私が、どの程度の実力があるのか観察しているようだった。
シャドウが終わり、サンドバッグ打ち。
見られている事を意識して、いつもよりサンドバッグが揺れていたかもしれない。
卓球のラリーする音がメインだった室内。
私のサンドバッグに打ち込む打撃音が、それをかき消す。
先ほどよりも強く視線を感じる。
ラウンドを重ねる毎に、感覚が戻ってきた。
ただ、スタミナが切れてきた。
それまでは、男たちの視線を意識して動いていた。
スタミナが切れだすと、急に3ヶ月後の試合への不安が頭をよぎる。
(3ヶ月で間に合うのか・・・。)
1年振りに動いて初日。
いつもの半分のラウンドで、練習を切り上げることにした。
息を切らしながら座り込み、リングシューズの紐をほどいていた。
すると、男たちの複数の足が視界に入った。
私が顔を上げると、男たちが目の前にいた。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。