私をたどる物語 <9>
減量、試合、思いっきり飲み食いする。
このサイクルで3年間過ごしてきた私。
おそらく試合が出来ない体。
でも、これは夢なんじゃないか?
頬をつねるなんて甘いと思った私。
何度も何度も何度も、結構強く自分の頬を張った。
ヤッター!これで試合せずに済む!
あんなに毎試合毎試合思ってただろ?
天変地異でも起きて、試合中止になればいいって?
望み通りになったじゃないか!
不謹慎な自分が喜びやがる。
くそっ!
お前、やっと勢いが出て、スターダムに上がれるとこだったじゃないか!
何、喜んでやがるんだ、バカ野郎!
試合日まで、この二人の自分の闘いを冷めた自分が見てる。
ただ、悔しくて涙が止まらなかった。
訳がわからなくなり、気が狂いそうだった。
トーナメント自体は、結局、私の予想通りY選手が優勝。
見事、日本ランキングに入った。
勝負にタラレバは禁物。
・・・なのは、わかっている。
だけど、思わずにはいられなかった。
くそっ!俺が居るべき場所だったのに・・・。
この頃に、私の偏屈な精神はコンプリート。
リハビリを理由に、ジムの仲間たちから距離を置くように時間帯をずらしてジムに行くようになった・・・。
アイツ、ビビって逃げたんじゃないか?
仮病だったんじゃないか?
仲間たちがそんな事思うわけないのに・・・。
その頃の、屈折していた私はそう思えなかった・・・。
依然として痛みがひかない腰。
パンチはおろか、走る事も出来ない体。
俺はもう復活できないんじゃないか・・・。
手術は、医者に下半身不随になる可能性が何%かあると言われて、怖くて出来なかった。
手術以外となると、カイロプラクティックや整体。
あの頃はまだ、認知度が浸透していなかった時代。
良いといわる治療院を、紹介してもらっては通っていた。
数回通って、痛みがマシになり、動く。
また、痛みがぶり返す。
この繰り返し。
親との約束。
4年間は自由にしていい。
その4年目だった。
焦りと苛立ち。
日本ランキングにでも入れば、もう少し期間を延長してくれと言える大義名分がたつ。
その日本ランキングまで、後もう少し。
また別の紹介してもらった治療院に通う。
動く。
痛みがぶり返す。
この無限ループを繰り返す度に、絶望的な気持ちになる。
ジムの仲間たちを避けて、そんな日々を過ごしていたある日。
トレーナーから電話が入った。
「彼女と3人で、晩飯でもいくか?」
(珍しいな・・・。)
トレーナーとは、プライベートで会った事はない。
というか、ジムの仲間ともよく考えたら、プライベートで会わない。
唯一、ジムの仲間で遊んでいたのはミドル級の選手だった。
思うに、階級が近いと必然的にスパーで、ドつき合いをしなければならない。
だから、仲良くなりすぎて、余計な感情が入るとやりにくいからだと思う。
トレーナーのSさんのいきつけらしい店に行った。
食べながら、トレーナーと私の腰の具合、彼女の事、Sさんがやっている建築の仕事の話しをしていた。
(今日、言うか・・・。)
私は、トレーナーに話そうと決めていた。
少し良くなっては、また、痛みがぶり返す。
正直、ボクサーとしての限界を感じ、疲れ果てていた。
「コブシ、近くにワシの事務所あるからよってくか?」
何故か、飯屋の近くにあるSさんの建築事務所に誘われた。
誰もいない静かな事務所。
座るように促され、ソファーに座った。
Sさんは、近くのデスクに積んであったアルバムを数冊持ってきた。
Sさんは、私が所属していたジムのプロ第一号選手だった。
そして、私の尊敬するカリスマボクサーだったI選手のトレーナーでもあった。
「これ見てくれ。」
私たちの前で、アルバムを広げたSさん。
そこには若かかりし頃のSさんがいた。
時代を感じさせるモノクロの写真。
Sさんの主戦場は、ボクシングの本場メキシコだった。
奥さんもメキシコ人だった。
切り抜かれたメキシコの新聞記事。
驚いた事に、Sさんの記事だった。
「Sさん、スゴいですね~!メキシコの新聞に載ってるじゃないですか!」
Sさんの現役時代の事は、正直あまり知らなかった。
そのアルバムの中の記事。
驚いた事に、私も名前を知っている世界チャンピオンが、まだ、チャンピオンになる前の試合。
おまけにSさんが勝っていた。
「凄いっすね!あの〇〇に勝ってるじゃないっすか!」
Sさんは照れ臭そうに笑っていた。
「凄い選手だったんすね!もっと早く言って下さいよ、そしたらSさんの言う事もっと聞いてたのに!」
「バカ野郎!」
Sさんは、相変わらず照れ臭そうに笑っていた。
「俺はな、コブシの家に朝、行ってたんだぞ。」
初めて聞いた事実。
そういえば、Sさんが私に聞いてきた事があった。
「コブシ、お前、朝、何時に走ってるんだ?」
私の答えた時間に、毎日ではないけど、来てたらしい。
たまに、試合が決まり練習が終わると、Sさんが腹をマッサージしながらこう言っていた。
「お前、走ってないだろ!」
「い、いや、走ってますよ・・・。」
バツが悪そうに答える私。
すべて知っていたのか・・・。
Sさんの深い愛情を感じたと共に、期待に応える事が出来ずにいた罪悪感を感じた。
ひとしきり話した後、沈黙が流れた。
私は今だなと思い口を開いた。
「Sさん・・・」
「コブシ・・・」
ほぼ同時に、Sさんも口を開いた。
「なんだ?コブシ・・・お前から言えよ。」
「いや、Sさんから・・・。」
「わかった・・・。」
Sさんは、先程の笑いながら話していた顔から、真剣な顔で話し始めた。
「コブシ、お前はまだ若い。第2の人生の方が長いんだ。ボロボロになるまでやる事はないんだ。」
Sさんは諭すように、私に語り始めた。
「お前の闘い方は、肉を切らせて骨を断つみたいな闘い方だろ。けど、お前は肉を切らせ過ぎる。ワシは、お前の体のダメージがいつも心配だったんだ・・・。だから・・・もう引退したらどうだ・・・。」
Sさんが、私の体を心配していたのは、痛いほどわかっていた。
練習でスパーをしている時、打たれ強かった私は、相手のパンチを避けるのが面倒くさくなると、あえて打たせていた。
「お前、バカになるゾ!」
いつも、スパーが終わると怒られていた。
「お前、何笑ってんだよ!気持ち悪ぃな~!」
15歳で親元を離れ、他人の釜の飯を食っていた。
そのせいか、愛情に飢えていたのか、Sさんに真剣に怒ってもらうと嬉しかった。
「Sさん、俺も今日引退する事言おうと思ってたんです・・・。」
「そうか・・・。」
自分が、心血注いでやり続けていた事を辞める。
意固地になって、背負い続けていた荷物を降ろしたような感覚。
不思議と、この時は涙が出なかった。
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