コブシのブログ

つれづれ駄文

私をたどる物語 <1>

今から16年前の話。


1本の電話。


 「コブシか・・Tがな・・Tが自殺したんじゃ・・・。」


 会長の声は力なく、いつもの勢いはなかった。


それがショックの大きさを物語っていた。


 T君が自殺?何故?


 T君は私よりも7つほど下だった。


 私が7年振りにカムバックするため、T君が所属していたジムで1年間練習したその期間しか関わりがなかった。


 T君は、私と同じように東京の大手のジムに所属し、挫折を経て自分の故郷に帰ってきた。


 経歴が同じようだった事もあり、T君とは意気投合してたくさん話をした。


 私と大きく違うのは、T君はまだ歳も若く故郷に帰ってきてから、セカンドチャレンジをして、東洋のチャンピオンになった事。


それも、つい先日タイトルを獲ったばかりだったはず・・・。


まさに、これから羽ばたくという時に何故、自殺なんか・・・?


 私は妻と、T君のお通夜に行った。


 通夜は自宅で行われ、かつてのT君の試合映像が自宅で流されていた。


ご両親にお悔やみの言葉を申し上げ、T君の顔を見させてもらった。


 T君は、眠っているように穏やかな顔だった。


 「おーーっ、コブシ!来てくれたんか!」


 会長は嬉しそうに私の手を両手で握って、そう言った。


 会長と会うのは、私の7年振りの試合以来、1年振りだった。


 私の場合は、年齢もそうだけど、自分の力量がわかっていたので、勝っても負けても1試合のみで引退した。


 3連勝中に怪我の為、22歳で引退した私。


 倒された事がなかった私は、結局のところ自分が強かったのか弱かったのか知りたかった。


 7年振りにカンバックした試合は、不細工ながら判定で勝った。


 結局、『弱くはないけど、そんなに強くはない』という結論を得て、グローブを置いた私。


 試合後、結婚と治療院を開院するため、他県に引っ越した。


だから、その後ボクシングは、やっていなかった。


お通夜の帰り、会長が私に言った。


 「コブシ、Tは3ヶ月後に防衛戦をする予定だったんじゃ。その試合をTの追悼試合にしようと思うとんじゃ。」


 会長は私の目をじっと見据えて言った。


 「その追悼試合のメインでリング上がってくれんか?」


 会長は私の手を両手で握り、力強く言った。


 「わかりました!自分みたいなもんでよければ、やらせてもらいます。」


 私は即答した。


 一瞬、ほんの一瞬だけ迷いはあった。


まったく練習から遠ざかっていた人間が、リングに上がるという事が、どんなに危険か、嫌というほどわかっていた。


だけど、7年振りにリングに上げてもらった恩義。


その2つを天秤にかけた。


 自分の中で、すぐに答えは出た。


 「そうか!受けてくれるか!ありがとな!Tも喜ぶわ!」


 会長はさっきよりも強く私の手を握り喜んでくれた。


 本当は助手席に座っている妻に相談すべきだったなと、言ってから思った。


 「相手はこれから選ぶから、ウェイトはどの階級がエエか選んでくれ。」


 私は元々、55・3キロ、階級で言えばバンタム級の一つ上のスーパーバンタム級でやっていた。


 引退して、7年振りにカムバックした1年前の試合は57・1キロ、フェザー級だった。


 引退した選手が、現役時代の苦しい減量から解放され、無様な体つきになる。


よくある事だった。


 私は、そんな風にはなりたくなかった。


だから、最低限体型を維持するよう体を動かしていた。


それでも、その時の体重は65キロくらいあった。


 「じゃあ、ライト級でお願いします。」


ライト級、すなわち61・2キロ。


 約4キロの減量。


 3ヶ月という期間を考えたら、経験上そのくらいが妥当だと思った。


 減量よりも、実戦の勘を取り戻す方に比重を置きたかった。


 「アンタ、大丈夫?」


 家に帰ったら、妻が心配そうに聞いてきた。


 「まぁ~大丈夫や!俺やで!」


 心配する妻を安心させようと、笑いながら言う私。


 妻は笑っていなかった。


 次の日から、3ヶ月後の試合に向けて、早速、動き出した。