コブシのブログ

つれづれ駄文

私をたどる物語 <8>

マネージャーも、勢いにのった私に、攻めのマッチメイクをしてきた。


 元日本ランカーのY選手。


 名前は聞いた事があった。


 戦績は私と同じ、6勝(3KO)3敗。


 私と同じ戦績で、日本ランクまで入った事がある。


すなわち、強い相手とやってきている証である。


これは、相当気合いをいれなければいけない相手だった。


 試合は激闘すぎるくらいの激闘だった。


お互い顔の変形がハンパなかった。


やはり、日本ランカーまでなった男だけあった。


なんとか判定で勝つ事ができた。


 引退を考えていた3連敗から、3連勝。


ランキングにも入っていた。


 日本チャンピオンまで後12人。


やる気に満ち溢れていた。


 次戦、1年前に敗退した賞金トーナメントに再びエントリー。


 最後に闘ったY選手も、違うブロックで出ていた。


 決勝までいけば、再び闘わなければならない。


あの強さだと、勝ち上がってくるだろうなと思った。


 私の初戦の相手。


 関西の選手で、戦績は7勝(3KO)2敗。


これまた、中々の戦績だった。


 私も3連勝という勢いがある。


 流れは良かった。


ただ・・・ただ、1つ気になる事があった。


 腰の爆弾・・・


連勝している時は、確かに腰の調子は悪かったけれど、それを理由にロードワークをサボっていた。


 連敗してからは、ロードワークの重要性を確信し、本当に腰と相談しながら走っていた。


ところが、前回の激闘のせいか、一気に悪化した。


ロードワークだけではなく、サンドバッグを打っている時でさえ、激しい痛みを感じる程だった。


でも、ここでトレーナーに腰の痛みを訴えて、ブランクを作る時間は、今の私には残されてなかった。


 親との期限である4年目。


なんとかランキングを上位に持っていきたかった。


お願い神様、もう少しだけ、もう少しだけ、待って下さい・・・。


 祈るような気持ちだった。


そして、あの悪夢がとうとうやってきてしまった。


 試合日の5日前。


 減量もなんとかうまくいき、調整の為、マスボクシングをしていた。


 軽く、本当に軽くステップを踏み、相手の右ストレートをダッキングした瞬間。


 体の中で鈍い音がした。


その瞬間、その場に崩れてしまった私。


 激痛で身動きできなかった。


 抱えてもらい、リングの外に運んでもらった。


 悪夢なのか・・・。


 頭のどこかで、不謹慎なんだけど、(あ~試合せんでもエエかも・・・。)と、思っている自分がいた。


 私は毎試合、試合が決まると怖くて怖くて仕方なくなる。


 試合日が決まったその日から、その恐怖心はスクスク育っていく。


 本当に不謹慎なんだけれど、天変地異でも起きて、試合自体中止になればエエのに・・・って、真剣に考えていた。


 病院で診てもらうと、腰椎の3番目が疲労骨折していた。


それもかなり激しく、下手すると完全に折れて、歩けなくなってしまうと医者に言われた。


 「先生!お願いします!どんな方法でもエエから、リングに立たして下さい!立ちさえすれば、後はなんとかするんで!」


 「コブシさん、あなた、下半身不随なってしまうよ。試合は無理だよ・・・。」


この時の事と向き合うのは、実に20数年振り。


この事は、自分の中では間違いなくメガトン級のトラウマ。


ずっと見ないようにして過ごしてきました。


 最初は、最後の試合だけを書こうとしていたんだけれど、何故か憑依したように書き出してしまいました。


 退行催眠療法じゃないけど、自分の中でも文章にする事によって、きちんとこの事実と向き合おうと思いました。


いつも読んでくださる方々には感謝しています。


 20数年振りにたどる記憶の糸・・・・・・


後、もう少しだけお付き合い下さい・・・・