コブシ仏
いつものように、会社の前の道路を掃き掃除していた時。
一匹の獰猛そうなスズメ蜂がいた。
普段なら、走って逃げただろう。
しかし、私は逃げなかった。
何故なら、そのスズメ蜂は瀕死の状態だったからた゛。
今にも死にそうに、少し丸まりかけて、足をゆっくり動かしていた。
掃除も終わりかけで、枯れ葉や吸殻などのゴミを、1ヶ所に集めていた。
その蜂も集めて、ゴミ袋に捨ててしまおうかとも考えた。
しかし、最期の一時をゴミ袋で終わらせてしまうのは忍びない・・・。
私の、ほんの僅か、雀の涙ほどの仏心が囁いた。
最期くらい静かな草花の上で・・・。
いくら死にかけとはいえ、触るのが怖かった私。
普段なら絶対にしないであろう。
軍手をしているとはいえ、多少は怖かった。
でも、死にかけだし・・・と自分に言い聞かせた。
最大限の慈悲心を発揮して、弱っている蜂を掴んだ。
(かわいそうに・・・。)
つまみ上げた蜂を見つめて、仏のような気持ちになった。
すると、さっきまで弱々しく足を動かしていた蜂の動きに変化が・・・。
(最期の力を振り絞ってなのか・・・。)
先ほどよりも、さらに慈悲心を抱いた私。
蜂は、足の動きをやめ、下腹部を前後に動かして・・・。
(こ、これ、ワシを刺そうとしとるやないかいっ!)
「うわぁぁぁーーーっ!」
小学生みたいな甲高い大声を出して、掴んでいた蜂を振り払おうとした。
しかし、軍手に蜂の足が引っ掛かっているのか、軍手から離れない蜂。
相変わらず前後に動く下腹部。
「うわぁぁぁぁぁぁーーーっ!」
更に大声を発しながら、全力で手を振った。
蜂はどこかに飛んでしまった。
さっきまでの、慈悲心に溢れていた私。
もう蜂がどうなったかなんて知ったこっちゃなかった。
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」
キリスト教の聖書に書かれている言葉。
「蜂よ、汝の最期の力を振り絞って、存分に刺すがよい」
本当の慈悲心を抱いているのならば、こう言うべきだったのか?
ムリだな。(笑)
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