コブシのブログ

つれづれ駄文

オッサンの昔話 <2>

私は興味なさそうなフリをして、その紙を受け取った。


“店もうちょっとで終わるから、どっか行こ!”


ナツコさんの顔を見た。


 今まで見てきた中で、最高に可愛い笑顔だった。


クールに決めようとしていた私だったけれど、我慢出来ずにニヤケ顔になっていた。


 店の会計を済まし、店の外で待っているように言われた私。


なんか夢を見ているような気分だった。


 酔っていた私は、現実か確かめる為に、何度か頬をつねらずに、ビンタしていた。


 季節は冬。


さすがに夜は寒かった。


ロングコートを着ていた私は、両手をポケットに入れて身を縮めて待っていた。


 「お待たせ~!」


ナツコさんが、私に駆けよって来て、私のポケットに入れていた腕にしがみついてきた。


あくまでも、これは単なるアフター。


 今なら、勘違いしないように自分に言い聞かせられるかもしれない。


しかし、16歳。


おまけに、女に免疫がまったくない。


 勘違いするなという方が無理だろう。


 生まれて初めて、女性と腕を組んで歩いた。


 「コブシちゃんの行きたいところに行っていいよ!」


 私の耳元で囁くナツコさん。


 甘くていい香りがした。


 考えてみると、店の中で話している時よりも、ナっちゃんとの距離が近かった。


ただでさえ舞い上がっているのに、いきなり行きたいところと言われても・・・。


 「ん~~、・・・き、喫茶店!」


 「か~わいいっ!」


 今なら、下心丸出しで「ホテル!」とか言うかもしれない。


 純情な少年には「喫茶店!」がお似合いだったのかもしれない。


 私は完全にナツコさんの事を好きになっていた。


でも、いつかくる現実と向き合わなければいけなかった。


 「私がよく行くお店があるの!行ってみない?」


 喫茶店でひとしきり話た後、ナツコさんは私に言った。


 「スナックパブ ひじり」


とある雑居ビルの1階にその店はあった。


 中に入るとカウンターとボックス席が2つある小さな店だった。


 「お~ナツコ、いらっしゃい!」


カウンターには渋い感じのマスターがいた。


 「あの店、コブシちゃんにはお金が高いと思うから、これからはこの店に来てね!」


ニコッと笑いながらナツコさんは言った。


その気遣いが私には嬉しかった。


ナツコさんはこの店でも働いていた。


 「マスター!この子、コブシちゃんって言うの!プロボクサー目指してる16歳!」


マスターは一瞬、「えっ」と驚いた顔になった。


 「ダメじゃないか~、16歳が~!」


でも、すぐに笑いながらマスターは言った。


 「座って、座って!」


ナツコさんはボックス席に私を座らせた。


それからは、「ひじり」に私は週に2,3回の頻度で通うことになった。


 今考えても、本当に恥ずかしくなるけれど、相当面倒臭い客だったと思う。


 16歳にしては多すぎる給料をもらっていた私。


 家賃、食費がかからない寮なので、給料はまるまる使えた。


タクシーで繁華街まで行き、くわえタバコ、ダブルのスーツを着て、粋がって「ひじり」まで通っていた。


 「ひじり」は小さな店で、女の子がナツコさんともう一人の子しかいなかった。


そのせいか、ナツコさんが忙しく、他のテーブルについていて、なかなか私のところに来てくれないこともあった。


やっと私の席に「ただいま~!」と可愛い声で帰ってきても、「俺もう帰るわ!」と言って帰ってしまったり・・・。


そんな時はいつも、店の外まで追いかけてきてくれて、私の腕にしがみついてくれた。


 「もう~、すねないでよ~コブシちゃん・・・。」


 本当は、私の席に帰ってきてくれて、嬉しいのに、素直になれなかった。


 「ね、機嫌直して戻ろう!」


そう言ってくれて戻ることもあれば、なっちゃんの手を振りほどいて帰ってしまったりしていた。


そんな時、いつも、なっちゃんはこう言ってくれた。


 「もう~、コブシちゃんのバカっ!また来てね!待ってるよ!」


 背中越しに聞く、そんな言葉が嬉しかった。


そんな日々を一年ほど過ごしたある日。


とうとう、私の生き方を変えたある出来事が起こった。


その日、いつものように「ひじり」で相当飲んでいた。


 隣にはなっちゃん。


 「いらっしゃいませ!」


 3人組の男の客が入ってきた。


その内の一人が、あるTシャツを着ていた。


 「○○プロレス」


メジャーなプロレス団体の名前が書かれていた。


 「おっ!なんや、○○プロレスやんけ!」


 私は中学生からボクシングを始め、プロを目指していた。


でも、ただそれだけで、実践経験はほとんどなかった。


なのに、「おれはプロボクサーになるんだ!」という根拠のない自信。


ただその一点だけで、怖いものがなかった。


 若いって無謀だなぁ~と今では思う。


 隣に座っているなっちゃんにも、良い恰好を見せたかったというのもあったのだろう。


 「コブシちゃん、やめなって!」


 立ち上がってる私の腕を引っ張りながら、なっちゃんは言った。


 私は酔いのせいもあり、そのプロレスのTシャツ男を睨みつけていたらしい。


 「なんや、兄ちゃん、えらい威勢がエエな!」


 「Мさん、この子、Мさんと同じプロボクサーを目指してる子なんよ・・・。」


 心配そうにマスターが、Мさんに声をかけた。


どうやら、「ひじり」の常連さんらしい。


 「兄ちゃん、プロ目指してんのか?ちょっとこっち来てみ。」


Мさんは元プロボクサーだった。


 私はえらい人にケンカを売ってしまったらしい。


「おう、何や!」


私は、フラつく足取りでその人の元に行った。


なっちゃんもマスターも心配そうに見ていた。


「兄ちゃん、構えてみ。」


私は酔ってはいたけれど、真剣に構えてみた。


はたから見たら、様になってなかったかもしれない。


Mさんは、私の前に両方の手のひらをミットのように突き出した。


「ワンツー打ってみ。」


私は真剣にMさんに向かって、ワンツーを打った。


「お~、なかなか、ええパンチやな。ほな、次、ワシな。」


そう言うと、Mさんの表情が変わった。


Mさんの前に両手を突き出した私。


先ほどの雰囲気とは明らかに違う。


「パッ、パーンッ!」


いつ打たれたのかもわからないスピードで、私の両手は弾き飛ばされた。


あまりのいきおいでバランスを崩し、尻餅をついてしまった。


その後、どうなったか酔っていてよく覚えていない。


ただ、敗北感というか、調子に乗って、なっちゃんの前でかっこ悪い姿を晒したのは強烈に覚えていた。


私は、あの日、その後どうなったか気になってしかたなかった。


3日程経って、どうしても確かめたくなって、ひじりに行った。


「いらっしゃいませ~!」


扉を開けると、いつものマスターの元気のいい挨拶。


カウンターに1人の男が座っていた。


パンチパーマでいかつい男だった。


(うわっ、何かヤバそうなんおるな~。)


マスターの声を聞き、その男も振り返って私を見た。


(う~わ、これもうヤ○ザやん!)


顔から醸し出す雰囲気が普通の人ではなかった。


「あっ!マスターゴメン!」とか言って、用事を思い出した振りをして、帰ろうかと思っていた。


「お~、コブシくん!こっち来いよ!」


 他の誰かに言ってるのかと、後ろを振り返ってみた。


誰かいるはずもない。


その男は確かに私の名前を呼んでいるんだから。


 「えっ?ぼ、僕ですか?」


「あれ~、忘れたんかいな!」


その男はマスターと顔を見合わせて笑っていた。


「ま~、エエからここ座りや!」


店内は他に客はなく、女の子もまだ来ていなかった。


改めて見ても、醸し出すオーラがヤ○ザそのものだった。


「ホンマ、びっくりしたで~、ワシにケンカ売るんやからな~!なぁ、マスター!」


二人とも笑っていたけれど、私だけがキョトンとしていた。


「も、もしかして、こないだ僕が絡んだ方ですか?」


マスターとその男は、顔を見合わせて、声を上げて笑っていた。


その男は、あのプロレスの興行の関係者だった。


ズバリその筋の人とは言わなかったけれど、話の流れで大体想像がついた。


シラフだったら、絶対にケンカなんか売らないし、間違いなく道を開けるだろう。


そうこうしてるうちに、なっちゃんが出勤してきた。


「コブシちゃん、あの日大丈夫だった?」


私は格好悪いところを見せてしまった恥ずかしさもあり、そっけない返事をした。


その男の人はМさんという名前で、元プロボクサーだった。


日本ランキング手前まで上り詰めたけれど、怪我で引退したそうだった。


いつもは、なっちゃんと話したいんだけれど、今日は、Мさんの話に引き込まれていた。


その日は客もあまり来ず、私はМさんとばかり話していた。


自分の夢のプロボクサー。


そのプロボクサーだったМさんの話は、いくら聞いても興味が尽きることはなかった。


その日は、あまり客も来ず、なっちゃんもカウンターで私とМさんの話を聞いていた。


「3人で飯でも行くか?」


マスターが夢中で話している私たちに向かって言った。


朝早くからやっている、市場の食堂に行くことになった。


何故か、なっちゃんは帰っていった。


(ふ~ん、帰るんだ。)


私は一瞬、なっちゃんが一緒に来ないことに違和感を覚えた。


でも、それもほんの一瞬だけ。


Мさんの話がもっと聞きたかった。


3人でテーブルに座り、定食を頼んだ。


Мさんは、ボクサーを辞めてから本当に自分は真剣にやっていたのかと疑問を抱いているとのことだった。


後悔ばかりしているんだと私に話してくれた。


「だから、コブシちゃんみたいに、これからプロボクサーになろうと思っている子には、自分のように後悔して欲しくないんだ。」


Мさんの目は真剣だった。


「こんな酒飲んだり、タバコ吸ったりなんか年取ったら嫌っちゅうほどできる。だけど、ボクシングは若い時しかできない。20歳までにプロに、できたら東京で勝負してくれよ!」


Мさんは地方のジムだったので、チャンスになかなか恵まれなかったそうだ。


私はМさんの目に引き込まれていた。


「だから・・・だから、コブシちゃん、ボクシングやれよ!」


なんか心の芯にズシンときた。


「コブシちゃん、ボクシングやれよっ!!」


繰り返して言ったМさんの言葉。


言葉に魂を感じ、響きすぎるくらい私に響いた。


「俺のように後悔してほしくないんだよ!」


なんか・・・なんか、こんなに真剣に他人に言われたのは初めてだった。


酔いのせいもあり、涙が滲んできた。


「コブシちゃん・・・」


それまで、黙って聞いていたマスターが私に言った。


「コブシちゃん・・・言いにくいんだけど・・・。」


感激していた私に向かって、マスターが言った言葉に私は驚くことになる。