コブシのブログ

つれづれ駄文

私をたどる物語 <5>

しかし、目の事はトレーナーに話していなかった。


なんとなく、網膜剥離の前兆のような気がして、もし、そうなったら引退しなければいけなかったからだ。


 私はガードがあまりうまくない。


というか、わざと打たすところがあった。


パンチが当たっているのに、グイグイ前に出てこられると、自分のパンチに自信がなくなり、心が折れてしまう。


そういう風に、相手の心を折って勝つ、それが自分の理想だった。


その為に、あえて避けずに受けていた。


しかし、それは諸刃の剣で、自分自身にもダメージが残り非常に危険な事だった。


だから、目をやってしまったのかもしれない。


 2連敗の後、腰の状態がさらに悪くなった。


それに、モチベーションが下がり、トレーナーとの関係にも、すきま風が吹いていた。


 結局、半年間ジムに行かなくなった。


 少し辞める事も考えていた。


 私は、既成事実があれば背中を押されて辞められるかなと、気になっていた目の検査に行った。


 「飛蚊症ですね。次、大きな衝撃が入れば網膜剥離になりますね。失明しますよ。」


 医者は、これ以上ボクサーを続けるのは危険だと言った。


やっぱり・・・。


 人間・・・というか私が天の邪鬼なのか知らないけど、やめなきゃいけないと言われると、余計に辞めたくなかった。


 片目くらいくれてやるよ!


 若かった私は、そんな風に思っていた。



 結局、この事実は引退するまで誰にも話さなかった。


 心を入れ替え、また、ジムに行きだした。


その間、マネージャーから聞かされた事実。


なんと、I選手から再戦のオファーがあった。


I選手は、私とやった後、連勝を重ねて日本ランキングの上位になっていた。


 自分よりもはるか下位の私に何故?


 私にはなんとなく理由がわかった。


I選手もあの時、ボディーが相当効いていて、私が殴る度にオエオエ言っていた。


I選手はKOでほとんど勝っていたので、私と判定までもつれたケリをつけようとしていたんだと思う。


マネージャーは、私がジムに行っていなかったので、そのオファーを断っていた。


 今、思い出しても悔やまれる。


その後、I選手は連勝を重ね、日本バンタム級1位になった。


そんなI選手でも、チャンピオンに挑戦したけれど、顎を砕かれKO負けした。


 上の人間は、どんだけ強いねん!と、しみじみ思った。
 心を入れかえ真面目にジムに行き出した私。


ほとんどしていなかったロードワークも再開した。


そんな私を認めてくれ、試合が決まった。


 賞金トーナメント。


 優勝すれば30万と日本ランキング入り。


 一気にスターダムにのし上がれるチャンス。


トレーナーとの関係も良好になり、後は勝つだけ。


 試合当日。


 1年振りのリング。


ブランクのせいか、いつも以上に緊張していた。


 1R。


 相手は私より小柄だけど、ガッチリとした体型のファイタータイプ。


 1Rから激しい打ち合いになった。


ブランクのせいか、感が鈍ったのか相手のビッグパンチをもらってしまった。


 私の動きが一瞬止まってしまった。


そんな私を見て、相手は一気に攻めてくる。


 私は、効いたパンチをもらった時ほど、すぐ一歩前に踏み出す。


そうする事によって、相手に「コイツ、俺のパンチ効けへんのか?」というプレッシャーを与える事ができるからだ。


ただし、パンチをもらって一瞬でもタイムラグがあると、プロは一気に畳み掛けてくる。


だから、効いた時ほど、危険だけれど、すぐ一歩踏み出す。


たとえそれがハッタリだとしても、倒されたら倒されたでしゃーない。


 所詮、何事もなるようにしかならない。


ボクシングをやるようになって、身に付いた価値観だった。


 顎にもらって効いていたけど、いつものように強引に前に出た。


 向こうの選手も、気が強そうな面構えそのままに、打ち合いに応じた。


 乱打戦となり、そのうち、私の左フックが今度は相手の顎に入り、相手の腰が落ちた。


 予想以上に初回から打ち合う試合に、会場は沸いた。


 試合をしていてわかるんだけれど、どちらかが効いていると、観客が興奮するのか床を踏み鳴らす音が地響きのように体感して分かる。


 正に今だった。


いきなりの山場に私も舞い上がった。


しかし、惜しくもここでゴング。


 2R。


 徐々にエンジンがかかってきた私。


ただ、相手も回復したのか攻勢を強めてきた。


 同じファイタータイプなので消耗戦になるのはわかっていた。


 今度は、相手のボディーが私の右脇腹にヒット。


 呼吸ができなくなるほどだった。


 「、いけーーっ!ボディー効いたゾーーっ!」


 私の動きが止まったのを見て、相手のトレーナーが叫んだ。


それでも一か八か前に出た。


この賞金トーナメントは、予選は5Rだった。


 二人とも、判定なんかはなから頭にないような飛ばし方だった。


やはり、賞金と日本ランキングがかかっているからだろうか。


 2Rは、やや相手有利で終了。


 3R。


トレーナーにハッパをかけられ、攻勢に出る。


 前のラウンドのダメージが残っていたのか、後手後手になった。


またも、相手にポイントを取られたか。


 4R。


さっきのラウンドで疲れた相手。


 後半から私のパンチがヒットし出した。


 最終R。


 明確に私の連打が当たり出した。


 相手は下がる一方。


 明らかに効いていた。


あともう一発当たれば倒れる。


 地響きのように床を踏み鳴らす音。


 後楽園ホールは大盛り上がり。


しかし、ここで惜しくもゴング。


 勝負の行方は判定へ。


 「コブシーーっ!勝ってるゾーーっ!」


 「ーーっ!お前の方が勝ってるゾーーっ!」


 「ドロー、ドロー!延長戦やれーーっ!」


 際どい判定になりそうだった。


 3連敗は絶対避けたい。


 「只今の判定をお知らせします。」


 先ほどまで、口々に叫んでいた観客が静まりかえる。


 「ジャッジ〇〇、48対47」


 「ジャッジ○○、48対47」


 「ジャッジ○○47対46」


 「以上、3対ゼロをもちまして、勝者~・・・

私をたどる物語 <4>

今までの相手とは比べ物にならないくらいスピードのあるジャブを矢継ぎ早に打ってきた。


いろんな角度から数発打たれ、そのスピードに面食らっていた私。


 次の瞬間。


 気が付いた時には、右のストレートが私の顎を打ち抜いていた。


それもピンポイントに顎の先端の急所にヒットした。


はじめて感じた、角材で貫かれたような衝撃。


(え、な、何なん、この感覚・・・。)


まるで、雲の上を歩いているようなフワフワした感覚。


 頭もクラクラして、立っていられない。


 私は、倒れないように相手に抱き付いた。


 必死に振りほどくI選手。


ここで離れたら倒されていただろう。


 必死にしがみつく。


 「ブレイクっ!」


レフリーに引き離される。


 依然として足がフワフワしていた。


まだ、1Rが始まって30秒くらいしかたっていない。


こんな大舞台でKO、しかも1RKOなんて絶対に嫌だ。


なんとか1Rしのいだ。


 間違いなく、今まで対戦した中で一番強い。


それもレベルが違う強さだった。


 今までの試合でも、効いたパンチはあったけれど、次元が違った。


 自分の拳を信じるしかなかった。


 2R・・・


後半からダメージの回復した私は、得意のボディー打ちで攻勢に転じる。


I選手は明らかに嫌がっていた。


I選手の口から嗚咽が漏れだした。


 3、4Rは一進一退の展開。


そして、5Rにその時は訪れた。


 左フックの相打ち。


しかし、コンマ何秒か速くI選手のパンチが顎に入った。


 私の左は空を切り、顎を打ち抜かれた私は、体が硬直した。


 後でビデオを見たけれど、よく倒れなかったと思えるほど、ダメージは深刻だった。


 私は相手にしがみついた。


なりふり構っていられなかった。


 5R終了のゴング。


 6Rは、お互い疲れきっていた。


 結局、判定で負けた。


 今思い出しても、あの試合が一つの分岐点だったと思う。


 2連敗という受け入れがたい現実。


この頃、左目に違和感を感じていた。


ずっと、視界に黒い糸屑のようなものがあった。

私をたどる物語 <3>

試合会場は名古屋。


 相手は名古屋で期待されていた無敗のホープ。


 私みたいな叩き上げは、ブランク明けといえど、ハードなマッチメイクになる。


しかし、そこで生き残ってこそ、上にいける。


 自分でもそれは理解していた。


 会長の孫なんかは、大事に慎重なマッチメイクで、訳のわからないフィリピン人なんかとやっては、KOを量産していた。


でも、それは生まれてきた環境が違うのだからしょうがない事。


 深く考えないようにしていた。


 私は、関西の高校だったので、仲の良かったツレが二人応援に来てくれた。


 完全なアウェー。


 試合前日。


 前乗りで、トレーナーたちとホテルに泊まっていた私。


 何かの用事でフロントに行き、エレベーターに乗って部屋に帰ろうとした。


その時、一人の男が一緒にエレベーターに乗ってきた。


 メインに出場する世界チャンピオンのH選手だった。


ボクシング雑誌で顔は見た事があった。


 「明日、前座で試合させてもらうコブシといいます。宜しくお願いします!」


 H選手は、私の顔と体を見て言った。


 「明日、誰とやるの?」


 「6回戦のI選手です。」


 「あ~Iか!アイツ、強いよ!俺のスパーリングパートナーやったからな。」


 6回戦の選手が、世界チャンピオンのスパーリングパートナーを務めるなんて聞いた事がなかった。


それだけ期待されている選手ということだろう。


 私は、いまだかつてない恐怖感におそわれた。


そして、試合当日。


 後楽園ホールの何倍もあるでかい会場。


 前座だったので、客の入りは半分もなかった。


リングイン。


 試合前、レフリーの簡単な注意を聞く為、中央に行く。


はっきり言って、レフリーが何を言っていたのか今でも思い出せない。


そんな聞くような精神状態ではない。


あの時間。


あーこれが人間の放つ殺気なんだとわかる。


 「魂のメンチの切りあい」


 私は、あの時間を人にそう説明する。


ただし、そこらのチンピラのようなメンチの切りあいではない。


チンピラみたいに見てくる奴もいるけど、だいたい皆、無表情でなんとも言えないオーラを発しながら、肝が据わった目で見てくる。


 最近、私が納得したのは、ある実話雑誌の記者が、殺人を犯した被告人にインタビューした時。


 皆、判で押したように、犯行時の話をする時、トロ~ンとした目付きになるとのことだった。


あ~そういう感じやわ!って思った。


やっぱ、アイツら殺しにきてたんかって、納得した。


 私は気が強いから、あの視線から目を逸らした事はない。


 4回戦の頃は、だいたい目を逸らす奴には勝ててきた。


しかし、このI選手は一切こちらを見ず、下を向いたり、レフリーを見たりしていた。


 世界チャンピオンがお墨付きを与えるくらい強いはずなのに、何故?


 初めて経験する嫌な予感。


 試合開始のゴングがなる。


その嫌な予感は、いきなり炸裂した。