コブシのブログ

つれづれ駄文

新聞拡張員のSさん  <1>

“新聞拡張員”


新聞購読契約の勧誘をし、その契約によって報酬を得る。


いきなり家に来て、あの手この手で新聞を購読してもらおうとする。


 中には強引に、恫喝まがいに契約をとる人間もいる事から、「新聞ヤクザ」とも言われるらしい。


 私は、この手の営業をする輩が大嫌いだ。


 人間関係は鏡みたいなものだと言われるけど、相手が高圧的な態度でくると、ついついケンカ腰になってしまう。


そういう輩は、その方法で気の弱い人から契約をもぎ取っているのだろう。


しかし、私はそういう輩が来ると、真っ向からケンカ腰でいく。


すると、だいたい向こうは引いてしまう。


そりゃそうだと思う。


 私は、いつでも「やるんやったら、いつでもやったんぞ!」と、腹が決まっているんだから。


 私の経験上、何が怖いって、腹が決まっている人間ほど怖いものはない。


ある日、私の治療院に新聞拡張員が来た。


 治療中だった事もあり、私は丁重に断った。


 勘違いしないでほしいのは、営業で来る人間みんなに威圧的な態度をとるわけではない。


この人も、好き好んで営業の仕事をしているわけじゃないかもしれない。


だから、普通に来る営業の電話なり、人には丁重に接する。


ある営業の電話の時。


 確か、インターネットのHP関連の営業だった。


 私は他にも仕事をしていたので、治療院は紹介のみで営業していた。


なので、広告関係にはお金を使う気は一切なかった。


 営業の方は熱心に自社のHP作成の良さを熱弁しようとしていた。


 「あ、私んとこは広告関係にはお金かけるつもりはないので、せっかくお話していただいても、時間を無駄にするだけなので・・・。」


と、丁寧に断った。


 「アンタ、よーそんなん言うな~。」


 妻は笑いながら私に言った。


 自分では、丁寧に相手の事を考えて、私んとこで無駄に時間を使うよりは・・・っていう親切心から言ったつもりだった。


 人それぞれ取りようが違うもんだなぁと思った。


 話が逸れたので本題へ。


 先程、断った新聞拡張員のオジサンは腰も低く、憎めない物言いの人だった。


 「じゃあ、また、出直します!」


そう言って帰っていった。


 次の日。


そのオジサンは、昨日と同じような時間帯にまた来た。


その時は、患者さんもいなかったので、話を聞く事にした。


 今までウチに来た新聞拡張員は、物言いが横柄か、変に馴れ馴れしい礼儀知らずな人間ばかりだった。


 私も気が長い方ではないので、最後はいつもケンカ腰になりつつ断る、というのがパターンだった。


なので、新聞拡張員に対する私のイメージは悪かった。


でも、この人は違った。


 「お願いしますよ~コブシさ~ん!」


 変に馴れ馴れしい礼儀知らずな人間、と言えばそれまでなんだけど、物言いが妙に憎めない。


たぶん、その人の持って生まれたキャラクターなんだろう。


ついつい、笑いながら話し込んでしまった。


その新聞拡張員のSさんは、朝日新聞の人間だった。


 私んところは、地元の新聞を取っていた。


 何故なら、地元の強みなのか、広告の量が朝日や読売など大手の新聞の倍ほど多かったからだ。


だから、変える気持ちはなかった。


 「お願いしますよ~!これ、つけますから~!」


 別に商品に魅力を感じたわけじゃなく、Sさんのキャラクターを気に入りつつある自分がいた。


 「う~ん・・・わかりました。朝日とりますわ。」


ちょうど、新聞の更新時期だった。


それよりも、Sさんのキャラクターに惹かれてしまった部分が大きかった。


 Sさんは、昔、悪かったんだろうなという雰囲気を醸し出していた。


でも、そんな事を微塵も感じさせない憎めない態度だった。


 「ありがとうございます!」


 私の言葉を聞いて、Sさんは歯の抜けた口を全開にして喜んでくれた。


そんなところも、好感を持てた。


それからSさんは、近くを通ったからとかで、気軽に治療院に寄ってくれた。


いつしか、私の治療院に患者さんとしても来てくれた。


 Sさんは、プライベートな事とかも話してくれるようになった。


かつて結婚していたけれど、自分の素行の悪さに愛想をつかされ離婚し、何年間も1人で暮らしているとの事だった。


 子供も1人いるけれど、何年間も会ってないそうだ。


 子供の話をした時の、Sさんの淋しそうな顔が印象に残った。


 3回目に治療院に来た時、夕方だったという事もあり、夕食に誘ってみた。


 Sさんは、最初、驚いた顔をして、困惑していたけれど、私の押しの強さに負けたのか、私の家族と夕食を食べに行く事になった。

一番効いたブロー

私は今まで、どんな攻撃を受けても、倒された経験はない。


そんなタフな私が、今までで一番効いた攻撃。


それは、数年程前の出来事。


 長く勤めていた仕事先の代表と、ケンカ別れして仕事辞めてしまった時の事。


 突然辞めさせられたので、次の仕事先も確保できなかった。


 子供もまだ小さく、妻の不安は募るばかり。


 「心配するな、まぁー見とけって!」


 心細くなっている妻を勇気づけようと、男らしくそうのたまった私。


すると、妻が・・・


「私、結婚してから、ずーーーっと、アンタの事見てんやけど!」


(んっぐっ・・・)


まさかの返り討ち!


あの攻撃は効いたなぁ~。

神様からのギフト

かつて、その荒々しいファイト振りから“○○の虎”と呼ばれていたKさんというボクサー。


Kさんとは、関東のSジムで階級も同じ、デビュー戦も同じ時期、ファイトスタイルも同じファイタータイプ。


 新人王戦も違うブロックで、同階級にエントリーしていた。


そのせいか、よく火のでるような打ち合いをして、スパーしていた。


 私が憧れていた、カリスマボクサーだったIさん。


 私は、そのIさんが所属しているSジムに入った。


引退してから数十年たった頃、話す機会があった。


 「コブシとKのスパーを見て、皆・・・・」


あの憧れのIさんが・・・・褒めて頂けるのかと思いきや・・・。


 「ガードの大切さを教えてもらったよ。」


ズッコケた記憶がある。


まぁ、それくらいKさんとはバッチバチのスパーをやった拳友だった。


その後、Kさんは仕事の都合で関西に引っ越していった。


 私はと言えば、デビュー戦を1RKOし、4連勝、順風満帆かと思いきや、3連敗。


そして、負のトンネルをやっと抜け出し3連勝。


 次戦で日本ランキングを賭けてのトーナメントにエントリーしていたけれど、試合直前に長年の腰痛から、腰椎が疲労骨折し、家業の関係もあり、そのまま引退してしまった。


 私は、これからという時にヤメてしまった自分に納得していなかった。


 今になって思うと、自分の小ささに恥ずかしくなってしまうんだけど、仲間たちの活躍が羨ましくて、ボクシング関係の情報を一切遮断した。


 数年後、家業の下積みも一段落し、何気に見たボクシング雑誌にKさんの名前があった。


 日本バンタム級1位になっていた。


 Kさんは元世界チャンピオンにも勝ち、関西圏では、攻撃の凄まじさから「~の虎」と、対戦相手から恐れられていた。


 私はKさんの活躍に触発されて、もう一度リングに上がろうと決意した。


 実に7年振りのリングだった。


そして、試合が決まり、1年後に、リングに上がるという時、昔のトレーナーにKさんの携帯番号を教えてもらった。


 私は久しぶりだし、積もる話もあるだろうし、何かアドバイスなんかもらえたらなという気持ちで電話してみた。


しかし、その一方で、かたや日本ランキング1位の一流ボクサー、かたやA級ボクサーとはいえ、ランキングにも入れなかった無名のボクサー。


 劣等感が少なからずあった。


そのせいか、「で、今さら何が聞きたいの?」と言ってはないんだけれど、そんなニュアンスのそっけない態度にとれてしまった。


 私は電話を切った後に、Kさんの番号が書かれた紙をくしゃくしゃに丸めて捨てた。


もう今後、話す事も会う事もないだろうと思った。


そして数年経ったある日、以前付き人をしていたK社長から封書を頂いた。


 「こんなボクサーがおるみたいやで。」


 封書の中を見ると、新聞の切り抜き記事が入っていた。


 Kさんだった。


 Sジムの頃と同じ、看護士として頑張っていた。


 日々、認知症の老人たちの心を癒すべく、一緒に歌を歌ったり、踊ったりと現役の頃の激しいファイトとはうってかわって、穏やかな仕事をしていた。


 私は「わだかまり」もあって、そのKさんの新聞記事をくしゃくしゃに丸めて捨て・・・そんな事はできなかった。


いくら「わだかまり」があろうが、仲間が頑張っている事まで、くしゃくしゃにして、捨てる事はできなかった。


数年前に抱いていた「わだかまり」。


でも、心のどこかで、あれは何かの間違いで、私の勘違いだったんだ・・・と思いたかった。


しかし、それを確かめる勇気はなかった。


 Kさんとの思い出は思い出として、心にしまっておこうと思った。


そして、あるきっかけから始めたFacebook。


 昔のSジム時代の仲間たちと、次々に繋がっていく楽しさ。


 「Kさんがコブシさんの連絡先を教えてほしいとの事でした。どうでしょう?」


ある日、ジムのOB会があったらしく、遠方の為、参加してなかった私に、かつてのジム仲間のMさんからメールをもらった。


(あー、やっぱり私の勘違いだったんだ!)


Kさんが私とコンタクトをとろうと思ってくれている。


それだけで、充分だった。


その瞬間から「わだかまり」は影も形もなくなった。


 「モチロン!」


 私は本当に嬉しかった。


 翌日、見慣れない番号からの着信。


 Kさんだと思った。


 「コブシくんですか・・・?」


 懐かしい声。


 15分くらい話しただろうか。


 「Kさん、少し会えないですか?」


たまたま、私はその頃、仕事でKさんと同じ県にいた。


しかし、あと数日でこの県を離れてしまう私は、今しかないと、内向的な私にしては珍しく積極的に誘ってみた。


 忙しいKさんの都合も考えず、失礼かなと言ってから思った。


でも、Kさんは快くOKしてくれた。


もう人生の半分過ぎているかもしれない歳になって、つくづく思う。


すべての事は偶然なんかじゃなく、必然なんだと。


だから、あの「わだかまり」も、私の人生を少しだけ楽しくするために与えられたものなのかなと。


こんな風に、神様からのギフトがあるたびに、生きる活力が湧いてくる。


 若い時にも、神様からのギフトはあったのかもしれない。


しかし、「感謝する」という受け皿が若かりし頃にはあまりなかったから、気づかなかったのかもしれない。


 幸せって、自分が踏んづけたり、蹴とばしたりしていた足元に転がっているんだなぁと思う。


 Kさんと会う前日は、緊張してあまり眠れなかった。


 駅で待ち合わせて、久しぶりに会うKさんは、こちらが驚くほど穏やかな顔をされていた。


 当時の雰囲気と変わっていなかった。


 Kさんは、30数戦も歴戦の強者と戦っているから、もっと凄みのある雰囲気をしているのかと思っていた。


しかし、話しているときにふとした瞬間の表情や目は、やはりこちらがひるむ程の凄みを感じた。


 所属していた関西のジムの第一線で活躍していたからこそ話せる私の知らない話。


 辰吉選手との秘話など、いちボクシングファンのようにKさんの話を聞いていた。


たまに、異なる意見になり白熱する場面もあったけれど、それも昔、さんざん殴りあいをしてわかりあえているからこそ、遠慮なく話せた。


 3時間があっという間に過ぎた。


お互い次の日、仕事もあるし、帰ることにした。


 Kさんとは、それ以来、会ってないけれど、年に数回短い文面でメールのやり取りをしている。


 心の根底で繋がっている、そんな感じだ。


帰り際、Kさんが言った。


「コブシくん、これは冗談じゃないんだけれど、僕、何年か前、探偵ナイトスクープに手紙だしたんだよ。」


 話によると、「をやっている、元ボクサーの・・・」と、私を探して欲しいとの依頼をしたらしい。


いや、もう、ホントに言葉で表現できないほど嬉しかった。


というか、キダタローさんよ~!


ゲップ連続何回できるか?みたいな、しょ~もない依頼うけるんやったら、Kさんの依頼受けろっちゅ~の!


あ、キダタローさんは、あの当時、局長とちゃうか。(笑)